サウダージ

哀愁と言っても、人それぞれだと思うが、自身が先ず思い浮かべるのはアントニオカルロスジョビンの曲だ。悲でなく、哀。どちらも悲しみだが、前者はどちらかというと、崇高な感じ、神話ではっきりこれが、通奏低音になって、話に進むが、ここに観ているものはいない。あくまでも我々は観客である。

 哀は地上の感覚と言える、が、ジョビンの哀愁はベタベタしていない。始めは清澄な調子で最後のところで、一抹の哀。だからと言って、痛切でなく、対象がはっきりしていない。ただ、何かしら、形容しがたいものが、響く。

はっきりと定義できないということが、ジョビン

音楽の妙なることなのかもしれない。