ダイエットとリバウンド

ダイエットをしても、大して変わらない、逆に体重が増えた、所謂、リバウンドですが、こうした、停滞、プラトー、悪循環からの脱却を日常生活に即して、具体的に考えたいと思います。

ダイエットイコール体重減と思わるかもしれませんが、それだと、早くもリバウンドを招来することになります。

ダイエットイコール心地よさです。

体が、適正を保とうと生命維持の機能が働きます。

ある程度までくると、体重が思うように減らないので、少し、投げ出したくなる気分になることがあるやもしれませんが、ここは体のメカニズムをキッチリと理解して乗り越えたい所です。

 あたり前のことですが、しっかりと部位を意識することです。

 よく噛んで食べることは、運動に引き直すと、走ることです。これは全てのスポーツの基本になることであり、噛むということは、体内に食べ物が入れる、入り口です。栄養を循環させるのに、これをおろそかにすれば、ダイエットは砂上を建てられた、楼閣のように、脆くも、挫折、崩れ、終わるでしょう。

 

 

 

 

痩せること、それがふさわしい容姿を与えるなら良いのですが、何処かしら、やつれた感があれば、それは、本末転倒であります。

痩身にばかりに意識を傾けるのではなく、動きにもしっかりとした、意識を持つことは大切です。

 

育毛剤の正しい選び方、注意事項

薄毛の原因として遺伝が主な要因と言われているが、最近は、加えて生活環境の変化、食生活、込み入った社会関係からのストレスも挙げられる。

 以前、よく聞かれた遺伝によるものというのは、もちろん要因としてはありますが、最近は先にあげたものが多くなりつつあります。

 こんな時、やはり頼りたいのが育毛剤。 

しかし、いざ買うとなるとあれだけの中から選ぶとなると至極大変ですね。

そこで、買う前にに知っておきたいポイントをいくつかあげておきます。

自身の頭皮の質をしっかり把握すること。 

 これは肝心要なことで、脂質タイプなのか、それとも、乾燥皮質タイプかと把握することで、効果に差がでます。

含まれている成分は各商品とも微妙に違います。

 つまり、この成分がどう云う効果をもたらすのか、それぞれのタイプ、どちらに適切なのか、しっかり、

 理解することが大変です。

値段の高い方が効き目があるとか、良く売れているから大丈夫だろうと、よくよく成分を吟味せずに購入することでは、費用対効果がよくありません。

 ここは、選ぶ時の肝なので、しっかり確認して購入しましょう。

次に購入して、使用しておしまい、ってなことではいけません。

植物をイメージしていただくと良いと思いますが、種をポィ、と蒔いても芽は出てきません。

それまでに土を、つまり、頭皮を、育毛剤が浸透しやすい状態にしておかないといけません。

 つまり、頭皮を清潔かつ、柔軟にしておくということです。

 植物に引き直す、雑草を取り除き、土をおこしをすると言えます。

これらを念頭に入れて使用することで、実り豊かな成果に結実することでしょう。

 

買い物

齢を重ねるごと買う物も変わってきた。10代、20代と見てくれに至上性を持たせて、服を買い漁り、30代、家庭を持ってからは、自身のものより、ドメスティックなものに比重が置かれるようになってきた。それは、行動域が変わってきたということであり、生活が単調に流れ出したということだ。

  だから、急な予定など入ると、そこに取りつくまでに、しばし、逡巡する。パートナーの意見を聞いてからということに変化してきたが、この辺りから「モノ」に対して距離が生じてきた。

そう、あれこれ考えるようになってきたということだ。慎重とは違う、「モノ」の可能性が見えてきたと言えばいいのか。

それに加えて、消費スピードが格段に早くなってきていて、それ期限付きの「モノ」であり、又、我々もそれに対しての目利きも鈍化していることも歪めない。

 耐久性とは現在、何処かしら、胡散臭い、空無な言葉として流通して、我々もまた、それに、意味を持たせず、只々、浮遊する記号として消費している。

 

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風に吹かれて

文学とは何か?こんなことを今さらながらに考えさせられたのは、先のノーベル文学賞を歌手のボブディランに授与したからだ。

 文学とは小説だけでなく、戯曲、詩人等々も受賞しているが、歌手となるとこれは初めてである。

 文字を使うんだから同じではないかと、あれも、詩人だとか。

 そうかぁ〜、そう来るかというのが自身の最初の感想だ。こうなると、狭義の文学という道は絶たれた感がある。

 それなら、荒川修作、マドリンギンスのように作品にテクストが付加されたものも、候補に上がるだろう。今回は賛否を引き起こした。しかし、総論、

影響を受けたという著名人の記事がわんさかでて、相変わらず、記事構成が紋切りであった。もしそちらの刷新があれば、ノーベル賞

これからの映画100

先程、英国批評家による新たな映画が選ばれた。

日本から宮崎駿が選ばれ、以前の小津、黒澤、溝口もその役割を終えたのかと、思いつつ、そのイディオムを受け継ぎ、批評的に乗り越えを謀る作品が並んだ。いくつかは鑑賞した。残りは、発表してから観たが、共通しているのは映画における時間の刷新を試みた作品が散見された。一位のリンチの作品は全く、失念している。しかし、時間という観点から見れば、今なら又、興味深く観れるかもしれない。

サウダージ

哀愁と言っても、人それぞれだと思うが、自身が先ず思い浮かべるのはアントニオカルロスジョビンの曲だ。悲でなく、哀。どちらも悲しみだが、前者はどちらかというと、崇高な感じ、神話ではっきりこれが、通奏低音になって、話に進むが、ここに観ているものはいない。あくまでも我々は観客である。

 哀は地上の感覚と言える、が、ジョビンの哀愁はベタベタしていない。始めは清澄な調子で最後のところで、一抹の哀。だからと言って、痛切でなく、対象がはっきりしていない。ただ、何かしら、形容しがたいものが、響く。

はっきりと定義できないということが、ジョビン

音楽の妙なることなのかもしれない。

端倪すべからず

作家のことを知りたければ、エッセイが良いとは誰の言葉だろう。こんなことを思い出したのは「陰翳礼賛」を読んでからだが、一般に耽美と符牒がつく谷崎の本懐をちらりと垣間見た気がする、あくまで気がするだけである。

 宙ずりの心地よさ、完璧な着地より、危うい着地